
はじまり
楽器屋に勤めるさえない青年ベアーは同僚のニッキーに熱を上げるが望み薄。ある店で手に入れた、2つに折ると願いが叶うというおもちゃの木の枝を、「ニッキ―が世界のだれより僕を愛してくれますように」と折ってみた。そこから悪夢が始まった。
ミタメモ
楽器屋の店員たちがおもなキャラクターなのが、楽器屋でバイトをしている身としてはちょっとエモい。さりげなく店長がいい。もっと活躍したらよかったのに。
日本では2026年7月に劇場公開。
なぜみた
良い評判をSNSで読んだ。映画館のカウンターのお姉さんにも勧められた。そこで実際に観に行ってみると、小さなシアターは若者でほぼ満員。期待は高まったが……高まりすぎたか……ちょっと残念感。
うんちく
この映画、音楽やカット割りで何度もドキーーーッと怖がらせてくれるのだけれど、そういった演出については、去年、前知識なくみていい拾い物をした『視える』がキレキレで、それはもう笑えるほど怖かった思い出がある。私としてはこちらのほうがオススメです。

ネタバレ
若者がありふれたバカな行動をとり、それが罰せられる形のホラー映画、というのは昔からよくある。そういう物語の発端であれば、最後は、主人公が命からがら逃げ出すとかモンスターを撃退するうちに、ボロボロになりながらも命の輝きを発見したりして、成長した姿を見たいものじゃないかと思うのです。
だけどこの映画は、おもしろいんだけど、若いバカを罰して終わっている。若者がそれみて笑うって娯楽のありかたは、それどうなのよ、と、微妙なひっかかりを覚えました。わたしはバカの味方なのかもしれない。
本作はホラー映画なので登場人物たちは当然、怖い目にあう。そのきっかけとなる愚かな行動や日々の営みも明かされる。だけど、そもそも、この子たちはそんなに愚かか?「そついうやついるよね」という枠からそうはみ出ていない、ちょっと過剰な人物を相手に、周囲が大袈裟に怖がっているという印象がつねにつきまとうのです。
重要なキャラクターの1人を除いた全員について、ダメなやつであると推測できる手掛かりが提示される。だけどその手掛かりも、我々にとってはキャラクターからの伝聞だけの情報だったりして、信じられるのか定かではないものが多い。そうして提示される悪行や乱行でさえ、まあ若い頃はそういうのあるよな、グループにそういうやつ1人はいるよな、という要素にちょっと「盛った」という内容。
そして彼らが、罰せられるかのように、怖い目にあう。そりゃ、現実にもよくいるような困った性格のキャラクターが、それを壮大に誇張した過剰な行動を取り、みんなをひどいめにあわせるのだから、おもしろい。私も退屈しないで最後までみて、楽しんだと認めざるを得ない。ぐぬぬ。
でも観賞後には、たしかにムカつく仲間たちかもしれないけれど、こんなひどいめにあって罰せられなければならないほど悪い子たちだったのか? とモヤるのです。成長してほしかった。現実の若者たちが対峙しがちなリアルな問題に対峙しているのだから。
脚本構造的にいえば、アクト3の最後のほうで主人公の成長の兆しをすこし見せているのだけれど、遅すぎて十分描けていない。ならば成長・変化に失敗した悲劇として構成したいのだけど、それにはアクト2内における間違ったゴール「魔法グッズで得た彼女との幸せ」をもっと追い求めたいのにそれはアクト1開始の直後に早々、断念されてしまっている。だから喜劇としても悲劇としても、アクト3で追い求める最終ゴールへの変化(成長)がうまく可視化できていないのかもしれない。
とはいえ、映画はだれもが驚くほどの好評を博しているらしいので、もし私があのキャラクターたちと同様の若い世代で、若者の時を当事者として生きている観客であれば、感じ方が違うのかもしれないとも思う。
私にとっては小さな事柄も、若者の日常の当事者たる若者たちには「こいついちど死ね……」と思えるような深刻なこととして感じられるのかもしれない。 そして、この物語でかれらがひどいめにあうのをみて、こわー! とか言いながら笑えるのかもしれない。若者が作った若者のための娯楽映画としては、それはアリなのかもしれない。
でもちょっとそれ、ホラー映画を作ったり観たりしている若者のわりに、感性が優等生すぎやしないか。自分らの周囲の等身大ダメ人間たちを派手にグロく罰して放置し、留飲を下げるあなたは、だれなのですか。劇場をうめていた若い観客たちの楽しそうな姿を思い出し、ひとり遠い目になっております。
どんだけ
1時間49分
どうみた
ニューヨーク市内の劇場 Regal Union Square
