
はじまり
十代の息子に無視され妻に冷たくされながらも、さえない中間管理職として淡々と暮らすハッチ。しかし家に強盗が押し入ったとき、長年かくしていた暴力への渇望が、ついに抑えきれなくなる。
ミタメモ
平凡な一般人の仮面の下にかくれていた「暴力と凶器大好きおじさん」が、ある小さな事件をきっかけに仮面を脱ぎ捨て、大活躍してしまうーーーというこの筋は、日本のヤクザもので何度かみたような気がするし、アメリカ映画でも(スパイやCIAを引退しようとしたけれど、とかで)わりとありがちな気がするけれど、それを本当に心からふつうのおじさんに見えるオデンカークでやってみたのが推しポイントなのでしょう。
序盤から、おしゃれな文字挿入と歯切れのよいカッティングで心地いい。ミュージックビデオとか最近のアニメとかみたい。
中盤~終盤はアクションいっぱい、暴力いっぱい。こちらもハイテンポに、しかも丁寧に作りこんだ殺陣をカットで分解し、わかりやすくみせてくれる。「どっちが勝ってるか」だけじゃなくて、具体的に何をしているのか(どこをどうねらって、次の打撃をどうよけて次の攻撃にどうつなげたか、そのおかげで敵はどうなり勝負のバランスはどうなったか、みたいな)が理解できるアクションもの。初心者にやさしい。けっこう貴重な気がする、地味に見事なアクション演出でした。
うんちく(ネタバレ)
隠していた暴力性が発露する、という物語は映画によくありますよね。そもそもこの映画のあらすじは、オデンカークが脇役として大活躍したテレビシリーズBreaking Badの、さえない高校物理教師ホワイトの「悪」の力が発露する話と、皮肉にもよく似ている。むしろマーケティング的にはそこ(Breaking Badみたいなやつ――って)がウリなのかなと思います。
だけど、主人公の「暴力性」が、どうやって身についたものなのかで、メッセージはちがってくる。ヤクザものみたいに、生活に困って反社会的な活動に足を突っ込んだとか、暴力的な父親に育てられたとか、そういった悲劇によって手に入れてしまった暴力性と、スパイやCIAものみたいに権力のお墨付きで鍛え上げられた暴力性とでは、自然と味わいもちがう。
この映画では、ハッチは血みどろの戦いを経ても、最後に奥さんと微笑みあうことができる。それは、ハッチの暴力性は国家のお墨付きの下で「みんなを守るため」の力として身に着けたもので、それをついに「家族を守るため」に使ったからだと思う。Breaking Badのように高校教師がふつふつと自らの中に抑圧し蓄積してきた暴力性がついに発露する物語とは、結末は当然、まったく異なってくる。高校教師ホワイトさんと奥さんとの関係は、もっと複雑だ。
そういう意味では双方、発端から発生する必然の結末へとたどりつく、良いライティングの物語だなと思うわけですが、喜ぶ観客層は、じつは別々なんじゃないかなと思ったりします。
どんだけ
1時間32分
どうみた
Amazon Prime Video
なぜみた
Breaking Badの悪徳弁護士で有名な俳優ボブ・オデンカークの主演作ということで。

