はじまり

宇宙飛行中の事故のせいで超人的能力を身につけ地球の守護者として有名になった家族に、赤ちゃんがめでたく誕生! ところが宇宙の巨悪がその赤ちゃんを手に入れようと企んだことから、全米、世界、そして宇宙が危機にさらされる……。

ミタメモ

とつぜんの自分語りだけど、2019年にニューヨークにある映画大学院に入り、おどろいたことのひとつは、脱西洋中心主義が強固な基盤としてあったことだった。西洋中心主義から脱すること自体におどろいたのではなく、それを教師も生徒もやたらと強調するのを見て、最初はポカーンとしてしまった。そもそも、世界の中心ではないのが明々白々な地球の片田舎の島国からやってきた身としては、それを学校で強調するべき「知的姿勢」として把握するのに時間がかかった。だってそんなの当たり前だと思ってたじゃん……。

自分が住んでいる場所は世界の中心ではない、というのは、別の言い方をすれば、世界中どこの人でも、みんな自分が自分の世界の中心だと思ってんじゃん、ということを知っておくということ。だれもが自分の目に見える範囲を中心として世界観を形成しがちだというのは、経験から肌で感じている人が多いと思う。
世界にはいろいろな文化があるけれども、その優劣を語る必要すらなくて、だれにとっても自分なりの文化の中心地がある。たとえば日本の人にとっては日本文化が世界の中心にあるし、地球の反対側のメキシコの人にとってはメキシコ文化ある。それぞれ自分の国が真ん中にある世界地図が当然な気がするのとおんなじだ。だけど、そんな認識を自分以外のみんなも共有しているかというと、それはちがう。神奈川県の人が神奈川県が世界の中心だと感じているのはまあいいとしても、愛知県の人も神奈川県が世界の中心だと思ってるはずだと神奈川県民が言ったとしたら、それはだいぶ間違ってる。

だからもちろん、文化を研究する場にあたっては、西洋が世界の中心であってそれ以外の場所にあっては西洋文化を学ぶべきとかみんなが思っているわけではない、なんて、自明なんだとおもっていた。からこそ、大学院という学問の場で、教える側も生徒もそこを熱心に強調していることにまず違和感を覚え……むむむ、つまり、それはアメリカでは、というか西洋では、それが当然じゃなかった時期が長かったということなのか~、と気がついた。気がつくのに新学期の数日かかった。西洋人にとっては西洋が世界の中心なのは当然としても、まさか東洋でもアフリカでもみんな西洋が中心だと思ってるだろ、と思いこまれていたとは。その西洋中心の意識から脱するために、ちょっと過去の一般的西洋人にはすごい理論立てが必要で、それを勉強して「おぉおお、おれらだけが世界の中心じゃなかったんだ!」って気付いてから文化の研究を始めないといけなかったってこと。その理論立てを基礎としてしっかり大学院で教えるぞ、学ぶぞ、ってみんな、新学期で息巻いていたってこと。
私はびっくりした。
おまえら……そこからだったのか。と、正直、思った。

さて、そこからだぞ、っていうことになってから、新学期の学生さんはともかくとしても、実際のアメリカ社会では長い年月が経っている。だから、2025年の今までだって、けっこう多くのアメリカ人が、アメリカだけが世界の中心ってわけじゃないって、気がついてきてたと思う。大作映画とかメインストリームの物語だって、わりと、そういうお話作りがされてきてた。

だけど、ときどき、そういうことをスッパリ忘れきって作っちゃった映画が、まだ出てくる。このファンタスティック4:ファースト・ステップも、そんな映画のひとつだと私は思った。

アメリカの宇宙開発がトップだった(というかトップであるということにしないといけなくて全力でがんばってた)からこそ、この宇宙由来の超人家族はアメリカ人だったんだよね、よかったね。
だから、宇宙の巨悪が狙う赤ちゃんもアメリカの赤ちゃんだった。
ほかのいろいろがおそってくるのも、アメリカの都市。
それは、よくないね。この街があぶないから。
うちの街が危ないってことは世界が危ないってこと。だからうちの赤ちゃんを救うってことは、世界を救うってことだぞ。
世界を背負って戦うファンタスティック・4、多人種のアメリカ市民が目をキラキラさせて見守ってる。それって実際は町のみんなの期待の星みたいな描写だけどなんか世界を背負ってるかんじがする。世界各国のテレビで見守ってる人たちのカットも、なんかにせものくさいけど挿入された。よし世界のためにアメリカでがんばれアメリカ人のファンタスティック・フォー!

…………っていう自分の壁の中で見えているものが世界全体のように思いこんで疑いもしないままにその「世界」を救おうとする感覚、スーパーヒーローとしてはかなりダサいなと思って、私はあんまりノレませんでした。ときどきキャラがかわいかったりして、愛着は持てたけど、それでは2時間近く、私のテンションはもたない。

この映画がヒドすぎとかではなくて、そういう世界観が無邪気に錯覚してるアメリカ映画、最近のでも意外にしばしばあるよな、と思います。スーパーヒーローものは個人が世界を救う話になるから、油断するとそういうのが如実に出ちゃうのかもですよね。

……って、そこから、だいぶちがう意識で努力して作られたのが見て取れる、今シーズンの別の新作『スーパーマン』の話にしたいのは、両方観たかたにはバレバレかもしれません。

それはまたいずれ、できたら。

どうみた

劇場Regal Union Square

どんだけ

1時間54分

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予告だ


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