
はじまり
ユダヤ系アメリカ人デイヴィッドの最愛の祖母が亡くなった。彼女の遺言に従い、彼はろくに会っていなかった兄をさそい、家族のルーツであるポーランドのユダヤ人の歴史ツアーに参加する。現代人の2人にはいささか重すぎるテーマの旅にいちいち心を揺さぶられるうえ、性格が正反対の2人は、ツアー中たがいに迷惑をかけあいぶつかりあう。
ミタメモ
ソーシャル・ネットワーク(2010)の衝撃が大きすぎ、ジェシー・アイゼンバーグの顔を見るといまだにMetaのザッカーバーグだと思ってしまう勢なのですが、もうそれも、2024年からみたら14年前。俳優としての年齢でいったらもう、若者と中年ってくらいに見かけの差があるはずだというのに。そしてこの映画をみて「これを自分で書いて監督して主演したとか、ジェシーアイゼンバーグは天才か!!」と強く思ってしまったので、またしても天才の顔というカテゴライズから私の記憶の中でザッカーバーグと混同される運命にあり、本人はどうでもいいだろうけど、申し訳なく思っています。どっちも「バーグ」ついてるし。そしてユダヤ系アメリカ人だし。
そのお兄さん役のキーラン・カルキンもてやっぱり天才かと思った。テレビドラマのSuccessionで、すごいいいなと思ってたのですが、ほぼ同じ役作りな気がしなくもない。けど、それがいいんだからいい。っていまWikiをみたら、マコーレ・カルキンの弟さんなのですね。それも兄弟でいろいろありそうな……。
ユダヤ人の受難、とくに第二次世界大戦下のホロコーストに至っては、当事者ではない自分にはどんなレベルでも、学ぶべきではあるにせよ想像つくフリしてはいけない気がする。ただし、戦争での悲劇を被害者として(そして加害者としても)体験したことのある人種・国民の一員、という立場には、日本人である自分にも、覚えがないわけではない。
広島の原爆資料館とか、そういった戦争の惨劇を記憶にとどめ語り続けるための場所に、学校の旅行で行ったりする。直接にそれを味わった家族や親せきがいるわけでもなく、自分と同時代の出来事でもない。その出来事と自分個人との関係性をどうとらえていいのかがわからないまま、神妙な顔をして展示を通り抜ける。悲しいとか怖いとかいう個人サイズの感情ですぐさま感じ取るには、ことが重大すぎ……と思っていたら「感受性の豊かな」友達が泣き出したりする。え? 自分は? 泣けない自分でいいの? この歴史についてわたしは不真面目な態度ですか? そんなつもりはないんだけど……。
そんな戸惑いを、もっと親密で深刻な関係性(兄弟、お婆ちゃんの遺言、少人数ツアー……)のなかでのものとして追体験できるとおもうこの映画。日本人としてちょっと遠すぎる話かなと思ったら、意外と身につまされたりして辛かったら、逆にクスリと笑えるところも多い、実はジャンル「コメディ」に分類されているのも納得な、身の丈でもみられる作品でした。